好きなこと記録

忘れないように…メモメモ!!

ビートルズ聖地巡礼 Liverpool Art School & Liverpool Institute 【5】

 

 

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Liverpool Art School


資格も何もなく…

学校をやめてから初めてジョンが通ったのが

このリバプール・アート・スクール。

 

この時期、ジョンの隠れた唯一の才能は

落書きやマンガを描くことでした。

 

ジョンはここでシンシアと

のちのビートルズ初期メンバーとなる

スチュアート・ストクリフと出逢います。

 

 

1962年4月10日

スチュアートは21歳という若さで

ドイツのハンブルグにて脳内出血で亡くなります。

 

 

1957年7月6日

ジョンはポール・マッカートニーに出逢い

彼にどこの学校へ通っているかたずねると

 

ポールはジョンが通っていた

アートスクールに隣接している

 

リバプール・インスティチュート」

と答えます。

 

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Liverpool Institute

ジョージ・ハリスンも同様に

リバプール・インスティチュートに

通っていて、ポールの友人でもありました。

 

彼らが出逢った当時

ジョンは17歳

ポールは15歳

ジョージは14歳でした。

 

 

彼らは次第に

アートスクールの21号室にこもり

 

ポールとジョンが勉強するべき時間の多くを

そこでギターの練習に専念していました。

 

 

その結果

ポールは学校から評価されず

資格もないまま中退することになりました。

 

だからこそ?

音楽で道を切り開くことが出来たとか???

 

1978年

ポールはリバプール・インスティチュートを

妻のリンダと共に訪問しました。

 

彼は荒廃し始めた学校を見て

あまりのショックに修復に使える以上の

大金を寄付しました。

 

しかし1980年代半ばに

学校は閉鎖に追い込まれ

 

ポールはジョージ・マーティンに紹介された

マーク・フェザーストーン・ウィッティと一緒に

 

リバプールへ戻り、会社の同僚と共に

 

1996年

「Liverpool Institute of Performing Arts」と

改名した学校を再開させました。

 

今では、役者、歌手、音楽家

アーティストを目指す若者が

遠くからもやって来ます。

 

 

ポール自身が訪問しギターやピアノの

レッスンを行うのも珍しくないことで

 

毎年行われる卒業式にも参加し

学生らに卒業証書を手渡ししています。

(2020年現在は分かりません(^^;)

 

 

この学校はポールの誇りと喜びであり

彼の地元への愛情と献身を表す場所でもあります。

 

 

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このスーツケースの像は

リバプールに関係する著名人たちを

記念してカナダ人ジョン・キングが制作。

 

展示は1998年にされました。

 

それぞれのケースには

リバプールに貢献した人たちの

名前が刻まれています。

 

このうちの数個のギターケースには

ポール、ジョージと

スチュアート・ストクリフの名を刻んでおり

 

そして

平和の象徴として

ジョン・レノンの名もオノ・ヨーコにより

加えられました。

 

ジョージ用のものには

名前ではなく住所が刻まれています。

 

 

 

ポールの名前は手前の一番上に

あるギターケースにありました。

 

あとは忘れちゃった(;^_^A

 

後ろに写っている建物が学校です。

 

 

ビートルズ聖地巡礼 Honeymoon Apt. 36 Faulkner Street【4】

 

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Honeymoon Apt. 36 Faulkner Street

 

ここは、ジョンとシンシアが

結婚初期を過ごした家です。

 

本来はブライアン・エプスタインが

ボーイフレンドたちを内緒で

招くために買った家でした。

 

 

当時イギリスでは同性愛は禁じられており

処罰の対象だったようです。

 

 

妊娠7ヶ月のシンシアは一人で家にいた時

お腹の赤ちゃんを流産しかかり

 

慌てて友だちに運ばれ病院へ向かいました。

 

この時、ジョンはビートルズ初アルバム

「Please Please Me」を収録していました。

 

 

 

この事件がきっかけで

ミミは仲があまり良くなかったにも関わらず

 

シンシアを自分の家で子育てができるよう

受け入れてくれました。

 

 

1963年4月8日にジュリアン・レノン

セフトン・ジェネラル・ホスピタルで産まれました。

 

 

シンシアはジュリアンを連れ

ジョンのいるロンドンへ引っ越すことを決めます。

 

 

ビートルズの成功ぶりから

ブライアン・プスタインは

 

もう首都を拠点として活動してもいいと

考えたからです。

 

 

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ここでもジョンは作曲したそうです。

この家のトイレでもジョンは作曲をしました。

 

「Do You Want To Know A Secret」

この家の秘密を内容に書いたそうです。

 

家々の歴史と

風情のある丸石道路が続くこの通りは

 

現在多くの映画やテレビ制作に

使われています。

 

若きジョン・レノンを描いた映画

「Nowhere Boy」

 

ここで撮影されました。

 

 

この映画観ました~???

 

もう一回観なおしたくなっちゃった(#^.^#)

 


Nowhere Boy | trailer #2 US (2010) John Lennon

 

 

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ビートルズ聖地巡礼 オックスフォード・ストリート産院【3】

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Oxford Street Maternity Hospital

1940年10月9日 

この産院でジュリア・レノンは

男の子を出産。

 

その子はジョン・ウィンストン・レノンと

名付けられます。

 

父親のフレディーは商船乗組員で

多くの時間を海で過ごしていたため

 

9ヶ月目にして初めてジョンに対面します。

 

 

彼は

リバプール内で仕事を探そうとしますが

見つからず…

 

ジョンが1歳にもならないうちに

妻ジュリアには内緒で

 

1941年ニューヨーク行のクルーズ船で

ウェイターとして再びリバプールを離れます。

 

 

じきに3歳を迎えるジョンの元へ

父は再びリバプールで仕事を探しに

帰ってきます。

 

しかし、またもや思い通りにいかず

2度目のクルーズ船に乗り

今回は北アフリカへと発ちます。

 

 

再度の留守が18ヶ月目を迎える頃

ジュリアは次第にフレディーを

 

夫、そして父親としてふさわしくないと

感じ始めます。

 

これをきっかけに彼女はジョンをつれ

新しい生活を始めるのです。

 

 

後にジュリアはウェールズ出身の兵隊

タフィー・ウィリアムズと出逢い

 

1945年6月私立病院で

女の子を出産します。

 

その娘ビクトリア・エリザベスは

ノルウェーの陸軍大将夫妻に養子として

引き取られ

 

ノルウェーでイングリット・ペダーソン

と、新しく名付けられます。

 

 

生涯ジョンは妹の存在を知ることは

ありませんでした。

 

この事実は、1992年の伯母ミミの死後

1998年にやっと明らかになります。

 

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Oxford Street Maternity Hospital

 

ジュリアは

再び新しい男性ボビー・ダイキン

と出逢い

 

娘ジュリア、数年後にはジャッキーと

2人の子供を産みます。

 

ボビーは

ジュリアと一緒に暮らし始める時

自分の子供ではない当時5歳のジョンの

面倒をみることを断ります。

 

そのため

ジョンは有名になる日までの日々を

ジュリアの姉ミミとミミの夫ジョージ

の家で過ごします。

 

 

ジュリアは出来る限り頻繁にジョンに

逢いに行きました。

 

12歳の頃

いとこのスタンリーがきっかけで

ジョンは今までお母さんは

 

たった徒歩10分の距離に

住んでいたことを知らされます。

 

 

1964年

ジョンが映画「ハード・デイズ・ナイト」を

撮影している際に父フレディー・レノンが

 

ロンドンで文無しの皿洗いを

やっていることを知ります。

 

 

ブライアン・エプスタインの家で

久しぶりに父と対面したジョンは

 

あまりの怒りで父がジョンを置いて行った

言い訳には、耳を傾けませんでした。

 

 

それからの11年間

ジョンとフレディーの間では

とても複雑な関係が続き

 

1976年4月1日

フレディーがガンで亡くなった時

 

ジョンは供花を贈ったものの

葬式に出席することは拒みました。

 

 

生涯いなかったのに

息子が名声と金を手に入れた途端現れた

 

父の死に悲嘆することはなかったのです。

 

 

現在この建物は、病院としては

使われておらず

 

医学生のための学生寮となっています。

 

 

ビートルズ聖地巡礼 64マウント・プレザント登記所【2】

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64 Mount Pleasant Register Office

64マウント・プレザント登記所

 

ここはジョン・レノンと妊娠初期のシンシア・パウエルが

1962年8月23日に結婚した場所です。

 

ジョンとシンシアは

1957年9月リバプール・アート・スクールで出逢います。

 

彼らの結婚は

ビートルズの初レコーディング「Love Me Do」を

行う直前でした。

 

当時シンシアがカメラを持ち忘れたため

写真は一枚も撮れませんでしたが

 

代わりに彼女自身が、自ら絵を描き

想い出を残しました。

 

この日、外では工事が行われており

登記所内での話がほとんど聞こえないほど

 

うるさかったことに

ジョンとシンシアは

がっかりさせられたそうです。

 

 

式の付添人は

ブライアン・エプスタイン

 

証人は

ポール・マッカートニー

 

ゲストが

ジョージ・ハリスン

 

 

シンシアの家族からは

兄トニーとその妻マジョリーだけが

 

仕事の休憩時間を使い参加しました。

 

当時リンゴは、まだビートルズに参加して

5日しか経っていなかったため

 

結婚式には招待されませんでした。

 

わずか20分の式を終えると

ゲストたちは

 

当時リバプールで評判の良かった

「リースのティールーム」に案内されました。

 

結婚式の夜、ジョンは

チェスターのリバーパーク・ボールルームで

 

ビートルズのライブがあったため

シンシアと時間を過ごすことは

出来ませんでした。

 

ジョンとシンシアの結婚は

ジョンがヨーコと出会う

1968年10月まで続きます。

 

 

この登記所は現在

人種的平等アドバイスセンターと

なっています。

ビートルズ聖地巡礼 リバプール【1】

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Liverpool Lime Street Station

マンチェスターから列車でリバプール入り。

 

 

駅の中はこんな感じ。

太陽の光が、なんともステキ💛

 

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Liverpool Lime Street Station

 

インフォメーションのお兄さんに

道を聞いてみたら…

 

すんごいリバプール訛りで

何言ってるのか全然まったく

 

さっぱり分かりませんでした(;^_^A

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Liverpool Lime Street Station

 

 外から見ると、こんな感じ。

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Liverpool Lime Street Station

 

駅を背にして立つと、この建物が目に入ります。

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St. George's Hall

 1854年にオープンしたこの建物は、コンサートホールと法廷を含む新古典主義様式の建物であり、指定されたグレードIに指定された建物としてイギリスの国家遺産リストに記録されています。

 Wikipediaより

 

 

「ホテルまで歩いて行こう!」ってことで

とりあえず歩いてみた。

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street in Liverpool

 

 

こういうのは、見てるだけで楽しいよね~ヽ(^o^)丿

 

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なんの建物かよく分からないけど

とりあえず写真だけ撮っておいた(^^;

 

そして

夜に食べたファーストフードのカレー。

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長くなっちゃうので

今回はここまで~(#^.^#)