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ビートルズ聖地巡礼 Mendips メンデイップス  ジョン・レノンが住んでいた家【8】

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1945~1963年までジョンが住んでいた家

 

ジョンが叔母ミミと酪農家の叔父ジョージと

一緒に1945年~1963年まで住んでいた家です。

(ジョンが住んだ家の中で一番長い期間)

 

母のジュリアは度々ジョンに逢いに来ます。

 

ジョンは母が道沿いにあるバス停から

降りてくるのを家の門から見つめながら

毎回待ちわびていました。

 

母がわざわざ遠くから彼に逢いにきていると

思っていたのです。

 

しかし実は

徒歩10分以内のところに住んでいました。

 

ジュリアはわざとバスに乗り

遠くに住んでいるように

ジョンに信じ込ませようとしました。

 

1952年の夏 12歳になったジョンを

従兄弟のスタンリーは

母ジュリアの家へ連れていきます。

 

ジョンにとって

母と異父の妹ジャッキーとジュリアが

こんな近い所に住んでいたことは衝撃でした。

 

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ジョンの家②

1955年

ジョンにとって唯一の父親的存在だった

叔父のジョージが

肝臓の出血が原因で亡くなります。

 

1956年にジョンは初めて

エルヴィス・プレスリーの曲を

寝室にあるラジオで耳にし

 

叔母ミミに

ギターを買ってくれるように頼みます。

 

ミミはギターなんかで

食べていけるはずがないから

しっかり勉強する方が大事だ

と伝え断りました。

 

ジュリアはミミの意思を無視して

ジョンに初めてギターを買ってあげます。

 

唯一家の中で弾くのを許されていた場所は

ガラス張りのサンルームでした。

 

ジョンは音を響かせるガラスと

床のタイルで出来たその部屋を

気に入っていました。

 

 

1958年7月15日

ジュリア・レノンは家を夜10時に出て

道を渡っているところを

車にはねられ亡くなります。

 

車を運転していたのは

運転免許試験にまだ合格していない

仕事へ遅れて急ぐ警察官でした。

 

ジュリアは即死でした。

 

ジョンはよく母を

「二度失った」と言っています。

 

一度目は叔母に預けられた5歳の頃。

二度目はこの関係を

また築き直し始めた17歳の頃でした。

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イングリッシュ・ヘリテッジのマーク

 

青いイングリッシュ・ヘリテッジ

(歴史的建造物を保護する組織であり

イギリスの著名人として

認定されている人の家に貼られます)

マーク

 

ジョンの死から20年経った

2000年に記念として貼られました。

 

そのイベントの日

ジョンの異父の妹ヴィクトリア

(後にイングリッドと呼ばれる)は

他の2人の異父の妹ジュリアとジャッキーと

ここで初めて対面しました。

 

叔母のミミは1965年に

ジョンがプール・ドルセットで

新しい家を購入してくれたため

この家を出ます。

 

ミミは1991年に88歳で亡くなりました。

 

ヨーコ・オノは、この家を2001年に購入し

ナショナルトラストへ寄付しました。

 

インテリアは

ジョンが住んでいた時のように作られ

現在はミュージアムになっています。

 

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ジョンの家の近所

 

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