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ビートルズ聖地巡礼 オックスフォード・ストリート産院【3】

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Oxford Street Maternity Hospital

1940年10月9日 

この産院でジュリア・レノンは

男の子を出産。

 

その子はジョン・ウィンストン・レノンと

名付けられます。

 

父親のフレディーは商船乗組員で

多くの時間を海で過ごしていたため

 

9ヶ月目にして初めてジョンに対面します。

 

 

彼は

リバプール内で仕事を探そうとしますが

見つからず…

 

ジョンが1歳にもならないうちに

妻ジュリアには内緒で

 

1941年ニューヨーク行のクルーズ船で

ウェイターとして再びリバプールを離れます。

 

 

じきに3歳を迎えるジョンの元へ

父は再びリバプールで仕事を探しに

帰ってきます。

 

しかし、またもや思い通りにいかず

2度目のクルーズ船に乗り

今回は北アフリカへと発ちます。

 

 

再度の留守が18ヶ月目を迎える頃

ジュリアは次第にフレディーを

 

夫、そして父親としてふさわしくないと

感じ始めます。

 

これをきっかけに彼女はジョンをつれ

新しい生活を始めるのです。

 

 

後にジュリアはウェールズ出身の兵隊

タフィー・ウィリアムズと出逢い

 

1945年6月私立病院で

女の子を出産します。

 

その娘ビクトリア・エリザベスは

ノルウェーの陸軍大将夫妻に養子として

引き取られ

 

ノルウェーでイングリット・ペダーソン

と、新しく名付けられます。

 

 

生涯ジョンは妹の存在を知ることは

ありませんでした。

 

この事実は、1992年の伯母ミミの死後

1998年にやっと明らかになります。

 

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Oxford Street Maternity Hospital

 

ジュリアは

再び新しい男性ボビー・ダイキン

と出逢い

 

娘ジュリア、数年後にはジャッキーと

2人の子供を産みます。

 

ボビーは

ジュリアと一緒に暮らし始める時

自分の子供ではない当時5歳のジョンの

面倒をみることを断ります。

 

そのため

ジョンは有名になる日までの日々を

ジュリアの姉ミミとミミの夫ジョージ

の家で過ごします。

 

 

ジュリアは出来る限り頻繁にジョンに

逢いに行きました。

 

12歳の頃

いとこのスタンリーがきっかけで

ジョンは今までお母さんは

 

たった徒歩10分の距離に

住んでいたことを知らされます。

 

 

1964年

ジョンが映画「ハード・デイズ・ナイト」を

撮影している際に父フレディー・レノンが

 

ロンドンで文無しの皿洗いを

やっていることを知ります。

 

 

ブライアン・エプスタインの家で

久しぶりに父と対面したジョンは

 

あまりの怒りで父がジョンを置いて行った

言い訳には、耳を傾けませんでした。

 

 

それからの11年間

ジョンとフレディーの間では

とても複雑な関係が続き

 

1976年4月1日

フレディーがガンで亡くなった時

 

ジョンは供花を贈ったものの

葬式に出席することは拒みました。

 

 

生涯いなかったのに

息子が名声と金を手に入れた途端現れた

 

父の死に悲嘆することはなかったのです。

 

 

現在この建物は、病院としては

使われておらず

 

医学生のための学生寮となっています。